「私、朋也くんと楽しいお話がしたいです。今日、学校でこんな事がありましたって、笑顔で話たいです」
「ああ、そうだな、楽しい話いっぱいしよう ぜ」
「はい」
俺は学校を卒業し、再び新学期が始まった。
体調が良くなった渚も毎日学校に通い始めたが、2年も留年し ているという事実が重く圧し掛かり、渚はクラスに馴染めていないのは明らかだった。
何かキッカケが欲しい。
どんな小さな事でも良い、 渚が学校でも積極的に明るく振る舞えるようなキッカケを俺は渚に与える事は出来ないのだろうか。
桜咲く坂道の先に
「なあ、渚、今度の日曜日、お花見に行かないか」
「お 花見ですか?」
「ああ、俺は杏や藤林、それに春原にも声をかけるから、渚は智代と宮沢、後、仁科達を誘ってみてくれないか」
「はい、分か りました、朋也くん」
古河家の夕御飯、俺と渚と早苗さん、そしてオッサンの4人でテーブルを囲んでいる。
俺もみんなで話をし ながら御飯を食べる事にも少しずつ慣れてきていた。
そして俺は渚にお花見に行かないかと切り出すと、渚も笑顔で頷いた。
渚をよく知る 友達と一緒に楽しくお花見でもすれば、渚も気晴らしになるだろう。
「花見か、面白そうだな、それじゃー俺も行くぜ」
「ダメです よ、秋生さん」
「いいじゃねえか、早苗、日曜はどうせ暇だしよ」
「それでは朋也さん、渚をよろしくお願いしますね」
「はい、早苗 さん」
身を乗り出して俺達の話に割り込んで来たオッサンであったが、あっさり早苗さんに止められた。
それでもオッサンは食い 下がったが、早苗さんはサラッと流して俺に笑顔を向けた。
仕事なんだから仕方ないだろ、オッサン、日曜は頑張って俺の分も働いてくれ。
―― 次の日曜日――
「それでは行ってきます、お父さん」
「ああ、気ーつけて行ってこい……しかし、そのお弁当、少なくねえ か? 確か10人くらいで行くんじゃなかったのか?」
「その予定だったんだが、杏も藤林も、春原さえも都合がつかなくてな」
「智代さんは 生徒会のお仕事があるようで、宮沢さんはお友達と『集会』が、仁科さん達は合唱部としてコンクールに出場するという事で断られてしまいました」
雲一つなく真っ青に晴れ渡ったお花見日和の日曜日を迎え、俺と渚は店の方の扉の前でエプロン姿のオッサンに見送られて、お花見のスポットである町外れの公 園に向かうため背を向けようとしたその時、オッサンが少し不思議そうな顔をしながら渚の持つお弁当を指差した。
オッサンの問いかけに俺と渚は振 り返り、俺と渚以外は都合が悪く参加出来なくなったと答えた。
4月も上旬から中旬に向かい桜も散り始めているので来週にする事も出来ず、俺と渚 だけでお花見に行く事になっていた。
言ってなかったか、オッサン?
「何ーっ! 二人きりでお花見だとーっ! それじゃーまる で……ダメだ、ダメだ、俺もついて行く」
「無茶言うなよ、オッサン」
「また、お母さんに怒られます」
「……仕方ない。だが、門限 は6時、1秒でも遅れたら罰として絶対売れ残る早苗のパンが晩めしだ、分かったな小僧っ!」
「あっ、早苗さん」
「……っ!」
またもや駄々をこねるオッサンであったが、渚の言葉に矛を収めた……かに見えたが、俺の両肩をガッシリと掴んで顔を近づけ凄んできた。
と、その 時、オッサンの後ろで、俺達を見送りに来たエプロン姿の早苗さんが笑顔を浮かべて立っていた。
「私のパンは……私のパンはっ……罰とし て食べる物なんですねーーーーーっ!」
「俺は大好きだーーーっ!」
青ざめたオッサンが首だけ後ろに振り向くと、早苗さんはみる みるうちにその愛らしい瞳に涙を浮かべ、走って店を飛び出してしまった。
そして、オッサンは早苗さんが作った『パンの中にまだウネウネと蠢いて いるタコの足が入ったパン』を限界まで口に頬張りながら早苗さんを追いかけて行った。
「あーあっ、二人とも行っちまった……って、これ じゃー俺達、花見に行けないじゃないかっ!」
「困りましたね、朋也くん」
オッサンと早苗さん、2人とも走ってどこかに行ってし まったので、俺達が出かけたらこの店には誰も居なくなってしまう。
日曜の朝からお隣の磯貝さんに店番を頼む訳にもいかず、仕方なく俺は苦笑いを 浮かべている渚に店番を任せて、二人を探しに行く事にした。
「すみませんでした、朋也さん。つい取り乱してしまって」
「いえ、悪 いのは全部オッサンですから」
「なんだと、小僧っ!」
「それでは、お母さん、お父さん、行ってきます」
ようやく早苗さ んとオッサンを見つけだし、3人で古河パンまで戻って来た。
我に返った早苗さんは申し訳なさそうにして俺に頭を下げたが、気にする事ないです よ、早苗さん。
そして渚はオッサンのツッコミを早苗さんのようにさり気なく流して、俺と一緒に町外れの公園に向かって歩き出した。
「…… (お姉ちゃん、やっぱりやめようよ)」
「……(ここまで来て何言ってんのよ)」
「……(何で僕までこんな事を)」
「ん?」
「ど うかしましたか、朋也くん?」
「いや、何でもない」
今、俺達の後ろの方に人の気配がしたのだが、気のせいか?
突然立 ち止まって後ろを振り返った俺に渚が声をかけたが、俺達は再び公園に向かって行った。
「この調子で行くと公園に着いたら、もうお昼だな」
「は い、そうですね。着いたら、まずお弁当にしましょう」
「そういえば、渚も早起きしてお弁当を作るのを手伝っていたみたいだが、何を……っ!」
「ど うかしましたか、朋也くん?」
渚と並んで歩いていると、道端で小さな机に白い布をかけ、その上に結構大きめの水晶玉を置いている占い師 が座っていた。
しかもその占い師は、まるで魔女が被っているような縁のある大きな三角の帽子を深めに被って黒いマントを羽織り、女性のはずなの になぜか白い髭を生やしているように見えるが、どう見ても椋じゃないか……一体こんなところで何をしているんだ? というか、今日は用事があるって言って たじゃないか?
「あの岡ざ……そこのお二人さん、ぜひ占っていきませんか?」
俺達が座っている占い師を通り過ぎようと した時、その占い師に呼び止められた。
その声を聞いて俺はその占い師が椋である事を確信したが、わざわざ変装をして、さらに俺の名前を呼びかけ たのに、あえて『お二人さん』と言い直した事を考えれば、ここは椋に合わせてやるべきなのだろうが、渚はどうするつもりなのだろうか? 俺は渚の意志を知 るべく渚の方を向いた。
「朋也くん、せっかくですから今日の運勢を占ってもらいましょう」
「渚……」
「何ですか、朋也く ん? もしかして朋也くんは、占いは嫌いですか?」
俺が渚の方を向くと渚は笑顔で俺の方を向いた。
そして俺が渚の考えを計り かねていると、渚がキョトンとした表情で俺を見ていた。
やはり渚は気付いていないようだ、それなら椋に合わせるべきか。
「い や、そんな事ないぞ渚、それじゃーお願いします」
「はい、分かりました」
「あの、その水晶玉は使わないんですか?」
「はい、私は トランプ占い専門なので」
俺が占いをお願いすると、椋はポケットからトランプを取り出し、箱からカードを取り出してシャッフルを始め た。
まあ椋なので仕方ないかもしれないが、出来ればその大きな水晶玉を使って占いをして欲しい気もするのだが。
「……あっ」
椋がシャッフルしていると、トランプがバラバラと地面に落ち、あわててトランプを拾い、もう一度シャッフルし直して、まず渚に3枚のカードを選ばせ、次に 俺に3枚のカード選ばせて、俺達が引いたカードを椋に渡した。
「その占い、あなたがしているところしか見た事がないんだけど、それだけで どうやって占うんですか?」
「占い師のインスピレーションです」
それなら、トランプじゃなくても良いだろ……水晶玉使ってくれ よ、せっかく目の前にある大きな水晶玉に、こう両手をかざしながら。
椋は机の真ん中に置いてある水晶玉と机の端という狭い場所にトランプを計6 枚並べて、口元に手をやりながら真剣にそのトランプを見ている。
すげー邪魔じゃん、水晶玉。
「分かりました」
「どんな 占いが出ましたか?」
「はい、今日の2人の運勢は『お花見に行って2人きりで、なぎ……そちらの方がこの男の人に膝枕をしてあげたりしてラブラブ な大人の時間が過ごせるでしょう』と出ています」
ようやく椋が顔を上げたので、渚は期待に満ちた表情で椋を見た。
椋の占いの 結果、残念ながら良い運勢が出てしまったようだ、この占いのどの部分が外れるのか少し不安になってきた。
そして俺は一応財布を出して料金を払お うとしたが、やはり椋は受け取らず今回はサービスしておきますと言ってくれたので、俺達はお礼だけ言って公園に向かって歩き出した。
「う わーっ、朋也くん、桜がとても綺麗です」
俺達はようやく桜が満開になっている公園に着いた。
公園中に咲き誇っている桜を見渡 した後、渚は俺に笑顔を向けてくれた、やはり来て良かったな。
もうお昼とあって、すでに桜の木の下はほとんどビニールシートを敷いて宴会をして いる団体に占領されていたが、俺と渚が座れる程度の場所は残っており、ビニールシートを敷いてお弁当を食べる事にした。
「いただきまー す、おっ、美味そうだな」
「お母さんと一緒に頑張って作りました」
俺と渚はビニールシートの上に座り、手提げカバンからお弁当 を取り出して、フタを開けた。
鳥のから揚げやウインナーなど定番のおかずにオニギリ、早苗さんはパン以外の料理は本当に上手だよな。
「ウ インナーが、たこさんになってるな」
「はい、それはお母さんが作りました……(ゴクゴク)」
俺は、たこさんウインナーを摘んで 渚に見せ、口に運んだ。
そして渚は喉が乾いたのか、水筒からお茶をコップに注いで、お茶を飲んでいた。
まあ、今日は少し汗ばむ陽気だ し、結構歩いたからな。
そうか、これは早苗さんが作ったのか。
しかし、パンにもたこさんウインナーを入れるのは普通に美味し いと思うのだが、なぜあえて生のたこを入れたのだろうか?
というか、早苗さんは奇をてらわず、普通のパンを作れば良いのだが。
「こ のミートボールは、ダンゴ大家族だな」
「はい、それは私が……(ゴクゴク)」
今度はミートボールを摘むと、そのミートボールに は可愛い目が付けられており、だんご大家族のキャラクターのように見えた。
そのミートボールをもう一杯お茶を飲んでいる渚に見せると、やはり渚 が作ったようでお茶を飲みながら頷いた。
「このオニギリもダンゴ大家族という事は、渚が作ったんだな」
「はい……(ゴクゴク)」
「っ て、渚、お弁当を食べる前にお茶を飲み過ぎだぞ」
俵型で海苔が巻かれたオニギリの中に、真ん丸で海苔の巻かれていないオニギリがあった ので取ってみると、そのオニギリにも可愛い目が付いていた。
そのオニギリを渚に見せようと、渚の方を向くと、渚はまた水筒からお茶を注いでお茶 を飲んでいた。
いくら何でもお弁当を食べる前にしては、お茶を飲み過ぎだろうと思い、つい俺は渚からコップを取り上げてしまった。
……ん? コップに小さな泡が見える? これはお茶じゃない、炭酸飲料のようだ。
少し匂いを嗅いてみると甘い匂いがしたので、俺は少し飲んでみ た。これはレモンチューハイじゃないか!?
「渚、この水筒はどうしたんだ?」
「はい、お父さんが用意してくれていたようなので、 そのまま持ってきました……ひっく」
俺は慌てて渚の方を向くと、すでに顔を真っ赤にした渚は、しゃっくりをしていた。
「お い、渚、しっかりしろ」
「ろうしたんれすか、朋也くん、あらしは……ひっく、とれもしっかりしれますよ〜」
俺はコップを置き、 渚の両肩に手をのせて渚を軽く揺すぶったが、すでに渚は呂律がまわらないほど酔っ払ってしまっていた。
そういえば、オッサンはよく仕事中にあの 水筒で何か飲んでいたと思ったら、レモンチューハイなんか飲んでいたのか、これは帰ったら早苗さんに報告しなければ。
「朋也く〜ん」
「渚、 大丈夫か?」
「えへへ」
渚は座ったまま俺の方に擦り寄って来て、俺の左腕にしがみ付き、俺が声をかけると俺に笑顔を向けた。
ダメだ、渚はレモンチューハイ3杯で、完全に出来上がってしまっている。
だが、酔った渚もいつもと少し違った感じで可愛いじゃないか……って俺 は何を考えているんだ。
いや、でも俺達はもう恋人同士なんだし、やましい事など何もないじゃないか。
「……朋也くん」
「…… 渚」
渚が潤んだ瞳でジッと俺の方を見つめて、ゆっくりと目を閉じ、そして俺も目を閉じてお互いの唇が近づいていった。
「…… (ゴンッ)痛っ!」
突然、俺の後頭部に何か四角い固い物がぶつけられ、振り返って下を見ると、そこには1冊の和英辞典が落ちていた。
俺は周りを見渡したが、特に変わった様子もなく、桜を見ながら宴会をしている人達が楽しそうに話をしていたり、歌を歌ったりしていた。
肉眼で確 認出来ない位置からの正確な和英辞典の投擲(とうてき)、そんな芸当が出来るのは俺の知る限りただ一人。
さっきの占い師といい、どうやら俺達か らのお花見の誘いを断った双子の姉妹は、この公園に潜んでいるようだ。
それなら最初から一緒に来れば良かったんじゃないか?
そうこう しているうちに、渚は俺の腕を掴んだままズルズルと崩れ落ちるようにして、あぐらをかいている俺の太ももを枕にして横になってしまった。
「朋 也くん」
「どうした、渚?」
目を瞑って胎児のように丸くなって横になっている渚の頭を撫でていると、渚が俺の名を呼んだ。
「朋 也くんの居ない学校は寂しいです」
渚の呟きに俺は渚を撫でている手を止めた。
普段、渚は俺に弱音を吐く事はない。それは渚が 俺を気遣ってくれているからだ。
もちろん俺にはそんな必要はないのだが、渚が俺に心配をかけないように頑張っている姿を見ると、俺は何も言えな くなり渚が学校で友達が出来て楽しく過ごせるようにと祈る事しか出来ない。
「あのな、渚」
「……」
俺は色々な 考えを巡らせながら、渚に声をかけたが、渚は小さな寝息をたてていた。
だが俺は今、渚に一体どんな言葉をかけようと思ったのだろうか。
俺は、わざと留年してもう1年渚と学校に通おうとも思ったが、もう卒業してしまい学校に行く事は出来ない。
俺は今の自分に出来る事を考えなが ら、眠っている渚の頭を撫で続けた。
「よーよー、お二人さん、見せ付けてくれるじゃないの……(何で僕がこんな役を)」
しばらく渚の頭を撫でていると、俺に見知らぬサングラスをかけた男が声をかけてきた。
その男は、まさに不良でチンピラで、ケンカが弱いくせに超 強い女の子に絡んで返り討ちにされたり、ラグビー部の連中にボコボコにされるタイプのへタレのような感じがした。
「こんなところで、何イ チャてんの? ムカツクね……(いくら何でもすぐバレちゃうよ)」
「俺は今動けない、俺を殴って気が済むなら殴っても良いが、もし渚に手を出した らタダじゃおかないぞ!」
両手をポケットに突っ込み少し前屈みでガニマタ歩きをしながらその男は俺達に近づいて来た。
俺は渚 を巻き込みたくないし、こんなところを渚に見られたくもない。
こんな手合いは相手にしたくはないが、今は動くわけにはいかない。
2、 3発殴らせれば、どこかに行ってしまうだろう。
「お、おい、僕が誰だか分からないの?」
「誰って……誰?」
「ちくしょ うーっ! (僕の事)覚えてろよーっ!」
何だかよく分からないが、とにかく見知らぬ男は泣きながら走っていった。
暖かくなる と色々なヤツが出て来るものだ。
まあ渚も気持ち良さそうに眠っているし、目が覚めるまでこうしていよう。
「すみません、朋也く ん。せっかくお花見に連れて来てもらったのに、私、眠り込んでしまって」
「いいんだ、渚。それより、もう一ヶ所、一緒に見に行きたい桜があるん だ、付き合ってくれないか?」
「はい」
渚が目を覚ました時にはもう夕暮れ時になってしまっていたので、俺はビニールシートを仕 舞って帰り支度を始めた。
ビニールシートをカバンに仕舞って渚の方を見ると、渚は申し訳なさそうに頭を下げているので、俺は渚の頭を撫でてやっ た。
そして俺は渚と一緒に行きたいところがあったので頼んでみると渚は頷いてくれた。
「朋也くん、ここは……」
渚は何も聞かずに、ただ俺の後をついて来てくれた。
そして俺が渚と一緒に見たかった学校に続く桜並木に着き、そのまま坂道を渚と一緒に歩き始め た。
「渚は毎日登校しているから、見飽きちまってるか」
「いえ、そんな事ないです、朋也くんと一緒ですし、それに」
「そ れに?」
「私は学校に行く時は毎日この道を通っているはずなのに、新学期になってから初めてちゃんと桜を見た気がします」
俺は 桜並木の坂道を歩きながら渚に声をかけると、渚は少し寂しそうな笑顔を俺に向けた。
そんな渚を見て、俺はふと初めて渚に出会った時の事を思い出 した。
渚は今、きっとあの時のように、自分だけが取り残され変わってしまった学校に通わなければならない。
俯いたまま、つらい気持ち で、この美しい桜さえも見ないで。
「あのな、渚。俺が初めて渚に会った時に言ったよな、楽しい事はまた見つければ良いって」
「は い、朋也くんはこの坂道で立ち止まっていた私に、そう声をかけてくれました」
「今考えたら、投げやりで無責任な事を言っちまったと思う」
「そ んな事ないです、朋也くんのその言葉のおかげで私はこの学校でもう一度楽しい事をたくさん見つける事が出来ました」
俺と渚は校門の前ま でやって来たので、振り返って二人で坂の上から桜並木を見下ろした。
俺は前を向いたまま、渚との出会いの話をした。
あの時の俺はまだ 子供だったと思うし、渚の事を何も知らずに渚を傷つけるような事をたくさん言ってしまったと思う。
だが渚は俺の方を向き、両手を軽く握って胸元 にもってきて真剣な表情で俺を見つめてくれた。
「そう言ってくれると助かるよ、渚。ただ、俺はもうこの学校を卒業してしまった」
「は い」
「だけど俺は渚がこの学校でまた楽しい事をみつける事が出来るよう心から祈っているし、その力になりたい」
「……朋也くん」
「だ から、俺に出来る事があるなら何でも言って欲しいし、困っている事があったら何でも相談してくれないか」
俺も渚の方を向き、今、俺が 思っている事を、そして今の俺に出来る全てを渚に告げた。
もう時間を戻す事は出来ないけれど、今だから出来る事もある。
そして俺はそ れを渚に伝える事から始めたい、渚と初めて出会ったこの桜並木で。
「はい、ありがとうございます、朋也くん」
「お、おい、泣くな よ、渚」
「すみません、私、とても嬉しくて」
俺にお礼を言いながら渚は大粒の涙を流して俯いたので、俺は慌てて渚に近づき渚の 両肩に手をおいた。
「……朋也くん」
「……渚」
渚が潤んだ瞳でジッと俺の方を見つめて、ゆっくりと目を閉じ、 そして俺も目を閉じてお互いの唇が近づいていった。
「コホン」
「……っ! と、智代っ! なんでこんなところに」
わざとらしい咳払いが聞こえたのでそちらの方を向くと、何と制服を着た智代が立っていた。
驚いた俺と渚はお互いに飛び退くようにして離れた。
ビックリするじゃないか、智代。
「それはこっちの台詞だ、岡崎。私は今ようやく生徒会の仕事が終わって帰るところだ」
「そうだっ たのか」
そういえば、渚が今日は智代は生徒会の仕事でお花見に来れないと言っていたような気がする。
こんな時間まで生徒会の 仕事とは大変だな、智代。
「岡崎」
「何だ、智代」
「学校での不純異性交遊は生徒会長として見過ごせないな」
智代は一つため息を吐いて、俺と渚の方を見ると、渚は顔を赤くして俯いてしまった。
今日は休みだし学校の中って訳でもない、それに断じて『不 純』なんかじゃないぞ、智代。
「智代ーっ、久しぶり、こんなところで奇遇ね。あら、朋也に渚、こんなところでバッタリ出会うなんて偶然 ね」
「何が偶然だ、ずっと俺達の後をつけてただろ?」
「いいがかりよ、朋也。あたしは別に『二人きりでデートさせてやろうと思ったけど、 やっぱり気になって様子を見ていた』訳じゃなく偶然通りかかっただけよ」
桜の木の後ろの隠れていた杏が、まるでドッキリの仕掛け人のよ うなわざとらしさで俺達の前に現ると、続いて藤林と……見知らぬ男が一人、杏か藤林の彼氏なのか?
俺が杏に公園で投げつけられた和英辞典を手渡 すと、杏はそれを受け取り、腕を組んでソッポを向いた。
「で、そっちにいるのは、お前の彼氏なのか?」
「はぁ? 何言ってんの よ、朋也、コイツはもう地元に帰っちゃったでしょう」
「地元って、あんた、どこから来たの?」
「どこからって、冗談も大概にしろよ、岡 崎。僕だよ僕、春原、春原陽平だよっ!」
俺は杏に後ろの見知らぬ男について訊いてみたが、全く要領を得ない。
仕方ないので、 俺は直接その男に正体を訊いてみたが……よく分からん。
そして俺はもう一度目を細めてジーッと、その男の顔を眺めた。
うーん、春 原……春原? 春原って、あの春原か?
あーっ、そういえば、そんな面影があるな、金髪じゃないから全然分からなかったぞ、春原。
「あ ら渚さん、それに皆さんおそろいで、どうかしましたか?」
「宮沢さん、それに仁科さん達も、どうして?」
「はい、私は包帯と傷薬を第2図 書室に返しに来ました」
「私達は合唱コンクールで使った学校の備品を返しに」
ようやく謎の男の正体が分かったちょうどその時、 宮沢と仁科達合唱部の面々が校舎の方から歩いて来た。
合唱部の備品の良いとして、宮沢の『包帯と傷薬』は少し気になったが、ここは訊かない事に しよう。
「そうだっ! せっかくだからみんなでこれから夜桜を見に行きましょう」
杏は全員を見渡した後、渚を見て今 から桜を見に行こうと言い出した。
確かに今の時期は俺と渚のいた公園ではライトアップされて、夜も花見をする人達はたくさんいる。
杏 のヤツ、渚に気を使ってくれたのか?
「えーっ!? 僕は明日仕事だからもう帰らないと」
「よーし、レッツゴーッ!」
春原は困った顔をして杏の方を見たが、杏は全く無視して振り返り右手を上げて坂道を下り始めた。
杏は自分が遊びたいだけだな、きっと。
そして春原と藤林、そして宮沢と仁科達も杏に続き、智代も渋々ながらその後について行った。
「まいったな、これじゃー門限に間に合わない な」
「そうですね、朋也くん。でも、とても楽しそうです」
「ああ。行くか、渚」
「はい、朋也くん」
肩を竦めて 渚の方を見ると、渚はとても楽しそうに笑顔を向けてくれた。
そして俺が渚に手を差し伸べると渚は俺と手を繋ぎ、先に歩いているみんなの元へと歩 き出した。
生きていくという事はまるで登っていく坂道のようだ。
辛く悲しい時、思い悩んで立ち止まってしまうかもしれな い。
けれど俺はこれからも渚とともに励まし合いながら同じ坂道を歩き続けていこうと思う。
俺はその長い坂道の先にある大切な何かを渚 と一緒に見つけたいから。